朝鮮半島の古代

紀元前3世紀~3世紀頃の朝鮮半島は絶えず中国から流民の進入を受け
半島の北半分に中国人のさまざまな国が建てられました。

*箕子朝鮮〔朝鮮半島北半部〕BC1100年-BC195年
 中国の周(黄河)の武王が朝鮮に封じた殷の一族箕子が起こす。
*衛満朝鮮〔朝鮮半島北半部〕BC195年-BC108年。
 中国の燕(北京付近)から亡命者が衛満が起こす。
*漢の楽浪郡〔朝鮮半島北西部〕BC108年-4世紀。

雑多な民族〔韓・辰・斎・ワイ族など〕は倭人などがいる南部に移動したようです。
紀元前3世紀~3世紀頃の朝鮮半島の南半部は
弱体化した無政府状態でした。

*三国志魏書馬韓伝 馬韓(半島南東部)-後の百済
各邑落には長帥(邑落の長)がおり,大首領は自らを臣智と称し,
その次が邑借で,山海の間に散在しており城郭はない。
既に侯準は王を僭称していたが,燕の亡名者の衛滿が全てを奪い取る。

*三国志魏書辰韓伝 辰韓(半島南西部)-後の新羅
辰韓は馬韓の東,そこの古老の伝承では,
秦の苦役を避けて韓国にやって来た昔の逃亡者で,
馬韓が東界の地を彼らに割譲したのだと自称している。

*三国志魏書弁辰伝
弁辰(半島南端部)-後の倭の五王珍(末羅の末裔)の領地(5世紀)・
任那日本府(6世紀)
国は鉄を産出し,韓,口,倭など皆,これを採りに来る。
男女は倭に近く,全身に刺青もする。

*三国志魏書弁辰伝・辰韓伝〔三世紀〕
馬韓〔後の百済〕皆長さ五尺余。その男子時々文身あり。

*隋書百済伝
「百濟之先、出自高麗國。其人雜有新羅、高麗、倭等、亦有中國人。」
(百済の先祖は高句麗国より出る。そこの人は新羅、高句麗、倭などが混在しており、
 また中国人もいる。)

倭人は縄文時代から西日本と南朝鮮を行き来しており
かなり前から朝鮮半島南部に住み着いていたと考えられます。
朝鮮半島から発見された日本製の縄文土器・黒曜石・矢じりが証拠ですね。
また新羅神話には王が倭人だったと書かれています。

倭は紀元前2世紀頃に鉄器を導入し
伝統の日本海交易ルートを維持しながら着実に力をつけていたようですね。
銅矛、銅鏡など倭国が短期間で朝鮮半島を圧倒したようです。
★1~2世紀の銅鐸銅矛の出土数 倭>>>>朝鮮半島
★3世紀頃の銅鏡の出土数 倭>>朝鮮半島
★3~5世紀の古墳の数・大きさ 倭>>朝鮮半島

紀元前1世紀には高句麗(半島の北)・
4世紀には百済(半島南西部)・新羅(半島南東部)が興りました。
中国の楽浪郡(半島北西部)は4世紀まで続きました。

4世紀頃の任那日本府は韓国が否定していますが
百済と新羅が緩衝地帯として
倭人が多い半島南岸部に倭(日本)の出先機関を設さけ,
パワーバランスを維持していたのではないでしょうか。

宋書には倭の五王の一人である武が
新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓を治めたとありますが
5世紀の倭の半島における影響力はまだ強かったようですね。

6世紀まで倭は朝鮮半島に影響しましたが
新羅が半島を統一する7世紀に
唐・新羅連合に破れ朝鮮半島から退くことになります。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です