千島列島の日露国境問題

①日露間の千島に於ける国境の取り決めは
 1855年の日露和親条約で
 択捉島以南は日本領、ウルップ島以北はロシア領と決定した。

②日露間の取り決めで
 1875年には千島樺太交換条約で全千島列島は日本領となった。

③1945年8月14日、日本がポツダム宣言を受諾、
 同年8月29日ソ連軍が択捉島上陸、9月1日に同軍が国後・色丹島上陸。

④WWⅡ後の1951年のサンフランシスコ条約で
 日本は全千島列島を放棄したが
 日本と国境を接する旧ソ連は条約に調印してない。

⑤共産国家との冷戦を人為的に作り上げ旧ソ連が未調印の
 サンフランシスコ条約は国境の取り決めに関しては不完全である。

➅アメリカは日本と旧ソ連の間に火種ををつくり
 日本が強国にならないようにしながら、共産主義の食い止めを日本で行い、
 同時に兵器を日本に売りやすい冷戦状態を人為的に作った。

⑦千島におけるロシアの実効支配をアメリカが黙認しているのは
 1945年のWWⅡ末期のヤルタ会談で
 アメリカが日ソ中立条約を破棄させ旧ソ連の参戦を実行させ
 かわりにロシアの千島の実効支配を認めるという密約から来ている。

⑧国境を接する当事者が関与しない
 第三者で決められた国境は必ず問題を起こしている。
 WWⅡ中に戦費をユダヤ人に捻出させパレスチナの地に
 戦後イスラエル建国を認めたイギリスの密約やオスマン帝国領土(中東)
 を分割したイギリス・フランス・ロシアによる秘密協定[1916年]など。

⑨1956年の日ソ共同宣言では
 平和条約締結後旧ソ連が歯舞群島と色丹島を日本に引き渡すことに調印した。

⑩上記の日ソ共同宣言の最中にCIA自民政権は突然態度を変えている。
 「歯舞・色丹だけでなく国後・択捉も返してくれない限り、平和条約は結べない。」
 1956年8月に日本の重光外相とアメリカのダレス国務長官が会談し
 「日本が国後・択捉の返還をあきらめて日ソ平和条約を結ぶのなら、
  アメリカも沖縄を日本に返還しないことにする。」

⑪帝政ロシアは共産化し旧ソ連となり旧ソ連は崩壊しロシアとなっている。
 ソ連とロシアの関係性を突きながら国境問題を主張し続ける必要がある。

⑫日ソ中立条約をアメリカと旧ソ連のヤルタ会談の密約によって破棄され
 シベリヤ抑留などで多大な被害をこうむった日本はロシアに簡単に引き下がれない。

⑬親米派の外務省・CIA自民・読売などは
 北方領土問題を日本がロシアに接近することを防ぐ口実に使う。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です