銅鐸の起源

Periodo_yayoi,_dotaku_(bronzo_a_forma_di_campana),_I-III_sec_d.C.

銅鐸には銅とスズの合金である青銅に少量の鉛が入っています。
弥生時代中期(BC2世紀頃)の銅鐸は朝鮮半島産の鉛、
弥生時代後期(AD0世紀-2世紀頃)の銅鐸は中国華北産の鉛が確認されており、
朝鮮半島経由で朝鮮小銅鐸〔5-15cm]が日本列島に入ってきたと考えてよさそうです。
朝鮮小銅鐸は北朝鮮平城の上里遺跡出土(BC5世紀、大きさは5-6cm)や
韓国の太田市出土(BC3世紀、大きさ9-15cm)などがあります。

f0008679_19433583

〔北朝鮮平城上里遺跡出土 BC5世紀、大きさ5-6cm]

銅鐸から華北産の鉛が発見された理由は、
1世紀頃に漢が朝鮮半島の北半分を領有したことと関係があると考えられます。

銅鐸の存在期間はBC2世紀ーAD2世紀の400年間で、
用途は中国や朝鮮の家畜につけられた銅鈴から、
家畜が当時いなかった日本で祭祀用・観賞用に変化し、
巨大化・装飾化されたと考えられています。
大きさは12cmから1mを越すものまであり、最大は134cmもありますね。
BC2世紀頃の最古級の銅鐸(出雲ー神庭神谷遺跡、淡路島、愛知県―八王子遺跡)は
20cm程ですが、
BC2世紀からAD0世紀出雲(加茂岩倉遺跡)では30㎝-45㎝の大型化し、
AD1世紀の畿内や濃尾平野(愛知県)では60cmに到達し、
畿内式と三遠式銅鐸に分かれ、
AD2世紀には100cmの超える銅鐸が現れます。

doutaku-hensen2

150322_Shimane_Museum_of_Ancient_Izumo_Japan07s

〔出雲の加茂岩倉遺跡の銅鐸]

九州でも銅鐸は発見され、
佐賀県吉野ヶ里遺跡の銅鐸(28cm)は
BC1世紀からAD0世紀ぐらいと比定されています。
鋳造に使った石も近郊から見つかっており九州でも銅鐸を製造していたようですね。
また出雲の銅鐸と同じ鋳型作ったもの物も同様に発見されてます。

出土数は出雲のほうが圧倒的に多いので、
朝鮮小銅鐸は始めに九州ではなく出雲に伝わり、
同時に大型化し、文様が施され
淡路島、畿内、阿波、九州、東海と同心円的に広がったと推測できます。

大分県別府(びゅう)遺跡からは、朝鮮小銅鐸と同じ形のものが発見されていますが、
弥生時代終末(AD2世紀頃)と比定されていますので、
上記とは違う、朝鮮半島から直接ルートで散発的に伝わったと考えられます。

銅鐸の祖型と考えられる銅鈴は、
殷から西周時代のもの(BC17世紀-BC11世紀、10cm以下)、
戦国時代から漢時代(BC8世紀-BC3世紀、10cm以下)のもの、
四川省の三星堆遺跡(BC24世紀-BC9世紀、20cm)、
中国江蘇省無錫市の越時代の貴族墓から出土した鐸(BC5世紀、20cm)
などがありますね。

f0008679_2113592

〔四川省三星堆遺跡の銅鈴]

20060209-00000148-kyodo-ent-thum-000[1]

〔越時代の鐸]

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です