出雲が漢王朝から銅剣(紀元前100年頃)?

出雲市の荒神谷遺跡の358本の銅剣の構成成分である鉛のうち、
357本が華北産と判明されています。(1本は朝鮮産)
一か所からの出土数は日本最多ですね。
埋葬時期は弥生中期後半(紀元前100年ー0年)ですので、中国大陸の前漢時代です。

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〔荒神谷遺跡出土の銅矛]

紀元前108年に前漢は衛氏朝鮮を滅ぼし、半島の北半分を支配しました。
生き残った半島南東部の韓を挟み撃ちにするため前漢が、
出雲に非公式に銅剣を送ったとも考えられますね。

7世紀に唐が新羅と同盟し高句麗を滅ぼした構図が思い出されます。
下記の地図を見ますと半島の前漢・韓・出雲の位置関係がよくわかりますね。

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*漢書地理史-紀元前100年頃
「樂浪海中有倭人 分爲百餘國 以歳時來獻見云」
「夫れ楽浪海中に倭人あり。分かれて百余国となる。歳時を以って来り謁見すと云う。」
 出雲の使者が漢を訪れていたかもしれませんね。

*後漢書東夷伝
「安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見」
「安帝、永初元年(107年)倭国王帥升等、生口160人を献じ、請見を願う」
 倭国王帥升とは日本神話に出てくる出雲のスサノオのことではないでしょうか?
 発音が似ています。
 倭奴国(北部九州)と書いていませんから、出雲ががぜんクローズアップされますね。

「建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬」
「建武中元二年(57年)、倭奴国、貢を奉じて朝賀す。使人自ら大夫と称す。
 倭国の極南界なり。光武賜うに印綬を以てす。」
 奴国は北部九州で間違いないでしょう。

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