天皇の訪中(1992年)はアメリカから依頼

政治の民主化を求めた天安門の群衆に中国人民解放軍は発砲し(1989年)、
1000名以上の丸腰の民衆が虐殺されました。
このとき物理学者の方励之が北京のアメリカ大使館に逃げ込み、
周りを中国人民解放軍がアメリカ大使館を囲むという事件が起こりました。

反中国の知識層をアメリカ国内に亡命させ、
中国を揺さぶりながら外交をリードしたいアメリカは、
中国政府に対し、日本カードを使いました。
北京のアメリカ大使館は日本大使館の橋本恕大使に、
中国に対する円借款の再開と天皇の訪中を依頼しました。
(元産経新聞:福島香織氏 そこまで言って委員会より)

日本の海部俊樹首相は西側の中で一番早く訪中し(1991年)、円借款を再開しましたね。
翌年1992年には有史以来初めての日本国天皇の訪中が行われました。(宮澤政権下)
残念ながらこれらの動きは
アメリカと中国の方励之の取り扱いにおける取り決めの中で起こったことであり、
日本の意思ではありませんでしたね。
日本外交はすべてアメリカの監視下にある現状を如実に表す出来事です。
1990年に方励之は北京を離れ英国に行きましたので、
アメリカは先に方励之を出国させ、
あとから日本政府に中国へのフォローをさせたことになりますね。

Tiananmen_Square

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