5世紀の中頃 ヤマトが九州を逆転

埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣(471年)にはワカタケル(獲加多支鹵大王)の文字があり、
熊本県江田船山古墳出土の鉄剣(438年)にもワカタケル(獲加多支鹵大王)の文字が
あります。

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http://blogs.yahoo.co.jp/irikurahp/60161352.html 入倉信夫のシニアライフ(ブログ)

日本書記の雄略天皇(457年―479年)の和名が
『おおはつせわたたけるのみこと』で、上記のワカタケルと同一人物である可能性が高く、
都は稲荷山古墳出土金象嵌鉄剣銘に見える「斯鬼宮(しきのみや ・磯城宮)」ですので、
5世紀の後半にはヤマトを中心とする政権が出来上がっていたと考えられます。

それまでは、例えば3世紀などは九州の吉野ヶ里(邪馬台国)と畿内の纏向が並立し、
4世紀には百済が九州の倭王旨に七支刀を送っており、
5世紀前半は畿内の巨大古墳と九州の倭の5王の並立状態が続いていたようですね。

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七支刀の実測図と銘文

銘文の拡大(倭王旨の字が見えますね)

泰■四年■月十六日丙午正陽造百錬■七支刀■辟百兵宜供供(異体字、尸二大)王■■■■作

泰■四年十■月十六日丙午正陽造百錬■七支刀■辟百兵宜供供侯王■■■■作

先世(異体字、ロ人)来未有此刀百済■世■奇生聖(異体字、音又は晋の上に点)故為(異体字、尸二大)王旨造■■■世

先世以来未有此刀百濟■世■奇生聖音故為倭王旨造■■■世

倭の五王の一人『武』は宋王に
東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、北は海を渡り95国を支配
(東征毛人五十五国、西服衆夷六十六国、渡平海北九十五国)などと言っていますが、
これは九州の瀬戸内側北部にいればあり得る方角です。

タケの地名は竹田市(大分県)竹原市(広島県)・大竹市(広島県)・
タケリの宮(広島県安芸郡府中町)にありますので、
倭の五王武は九州、本州の広島付近、朝鮮半島南部に
強い影響力を持っていたと考えられます。
九州の倭王武は畿内のワカタケル大王とは年代的にも若干づれがありますので、
別人であったと考えられますね。

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