スペインのユダヤ人(ユヤダ人を祝福するものは祝福されるのか?)

スペインのユダヤ人はBC6世紀ユダヤ王国がローマの直轄領になった時に
トルコからスペインにかけて広がる地中海沿岸のローマ領に
分散したことに始まると言われています。


出典:http://yutakarlson.blogspot.com/2008/08/2eu.html

ユダヤ教史
http://negatives-erbe.travel.coocan.jp/chronological_table.html

ローマ帝国はイベリア半島在住のユダヤ人に市民権を与え、
農・商業に従事させ、ユダヤ教も許可しました。
ところが5世紀以降、ローマが東ゲルマン、 西ゴート族に占領され、
6世紀に王がカトリックに改宗したことを機に、
ユダヤ人に対する差別が始まります。
613年にスペイン在住全ユダヤ人はカトリック教への改宗を強要され、
694年にはユダヤ人が
北アフリカ・イスラム教と秘密同盟を結んでいるのではないかと疑われ、
ユダヤ人の財産は没収され、奴隷にされ、ユダヤ教の信仰は禁止されました。
これにより多数のユダヤ人は国外へ脱出しました。

参照サイト
https://www.jasnaoe.or.jp/k-senior/old/DOC/judea/risan.html
(リンク切れ注意)

8世紀にイスラムの侵入をうけたイべリア半島は
ギリシア文化を習熟しているユダヤ人を重用し
11世紀まで政治・経済・文化で特色あるイスラムの国として
栄華が続きました。
この時期に多くのユダヤ人がイベリア半島に流入したといわれています。

国土が豊かになりますと土着のキリスト教徒が立ち上がります。
11世紀後半にはイスラム世界における西方の文化的な中心都市トレドが
カトリック勢力によって奪われ
アラビア語からラテン語へ諸文献を翻訳することが盛んに行われます。
イベリア半島は西ヨーロッパ世界に先進のイスラム文化(数学・自然科学など)を
もたらす窓口として西ヨーロッパの「12世紀ルネサンス」を導きました。

13世紀のアルフォンソ10世
(カスティーリャ王国の国王在位:1252年 – 1284年)は
知的好奇心が旺盛でアラビア文化を学ぼうと
アラビア語を知っているユダヤ人を優遇しましたが
ローマカトリックが支配するイベリア半島はユダヤ人迫害に向かいます。

1492年(コロンブス航海の出発日)ついにスペイン、イザベラ女王は
ユダヤ人追放、キリスト教への強制改宗を始めます。
キリスト教に改宗したユダヤ人は(マラノ=ブタ)と呼ばれ
異端尋問所で見つけられた改宗していないユダヤ人は
火炙りの形などの拷問が行われました。

結果スペインに居住していたユダヤ人は
ポルトガルとオスマントルコに移動することになります。

創世記12章3節に次のようにあります。
主はアブラハムに言われた、あなたを祝福する者をわたしは祝福し、
あなたをのろう者をわたしはのろう。
地のすべてのやからは、あなたによって祝福される。

アブラハムとは旧約聖書に記されるイスラエルの民の祖、
コーランでは、アラブ族の祖。初めアブラムと称したと解釈されてますが
主(神)に認められた賢者のことではないでしょうか?
神が国籍を選ぶわけがありません。

仮にアブラハムがユダヤ人で
ユヤダ人を祝福するものは祝福される と解釈しても
スペインのケースはどうでしょう?
イスラムのウマイヤ朝はユダヤ人と共存しましたが
土着のキリスト教徒に駆逐され
13世紀にはイベリア半島(スペイン)から完全撤退します。

ユダヤ人が撤退した後のスペインは
16世紀にカルロス1世(在位:1519年 – 1556年)が
皇帝カールとして全盛期を向かいます。
1521年にアステカ(メキシコ付近)がスペイン領に、
1532年にインカ(ペルー付近)がスペイン領に編入され
アメリカ大陸の大部分がスペイン領となります。
1580-1640年にスペイン王がポルトガル王を兼任
アジア・アフリカのポルトガルの領地を獲得していきました。
中南米のスペイン領は19世紀前半まで続きます。

(カルロス1世 出典:http://kilkenny.exblog.jp/20566614/)

アメリカ大陸のスペイン領

スペインは1588年、
スペインの無敵艦隊がイギリスに敗北したあたりから陰りが見られ
80年戦争(1568年ー1648年)には植民地のオランダが独立してしまいます。
背景には物資不足による財政悪化がありました。

スペインは広大な新大陸の経営と開拓のために、
莫大な物資が必要となりました。
質の悪いものでも、高値で売れることになり、
国内がハイパーインフレに襲われます。
スペイン製品は割高になり競争力を失っていきました。

インフレをささえた新大陸からもたらされる大量の銀も
17世紀末頃には枯渇してしまい
銀で商品を買い付けることができなくなりました。
植民地が自前で経済を回すようになると、
植民地で必要な物資が生産され、
スペイン製品をそれほど必要としなくなります。
植民地はイギリスやオランダなどと密貿易をするようになり
スペイン本国から離れていきます。
こうしてスペインに産業は育たず政府は輝きを失っていきました。

ユダヤ人は1492年にスペインから去りましたが
スペインの全盛期は16世紀中頃から17世紀前半で、
衰退は17世紀後半ですので、
『ユダヤ人を祝福するものは祝福される』という解釈は
時間的に大きなギャップがあります。
ユダヤ人が銀行システムを始めたのが18世紀ですので
16-17世紀のスペインの植民地経営に
ユダヤ人金融の力が発揮できる状況にはなかったですね。

またAD73年ユダヤ王国を破壊したローマ帝国が
AD117年頃全盛期を迎えますので
旧約聖書の創生期12章3節の『ユヤダ人を祝福するものは祝福される』は
ローマ帝国では当てはまりません。
次にユダヤ人の移動先、
ポルトガル、オランダ、イギリスを見てきますのでお楽しみに。

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