ポルトガルのユダヤ人

1492年にスペインで起こったユダヤ人追放で
ユダヤ人が隣国のポルトガルやオスマントルコに移動しましたが
ポルトガルの海洋進出は15世紀前半から始まっていました。

ポルトガル国王(在位1481~95年)の王子エンリケ(在位1385~1433)は
1415年に北アフリカのモロッコのセウタを征服し、
1420年にマディラ島、1431年にアゾレス諸島に到達しました。
1445年にアフリカ最西端のヴェルデ岬、
1447年にはシエラレオネ付近に到達しています。
エンリケは「キリスト騎士団長」に任命されており、
宗教的情熱のよりどころであると共にその財政的基盤となっていました。
http://www.y-history.net/appendix/wh0901-010.html



エンリケ王子

エンリケ王子の死後、宇宙形状誌や天文学に非常な興味を示していた
ポルトガル王ジョアン2世(在位:1481年 - 1495年)は
ユダヤ人ヨセフ・ヴィニショとアブラハム・ザクートを長とする
専門委員会を作りました。
アブラハムのテーブルアストロラーベナビゲーターは
どこでも正確な測定値を取ることができ、
どの位置に自らがいるか正確に判別できもので
遠洋航海には欠かせないものとなりました。
1497年、バスコ・ダ・ガマは、インドへの処女旅行に出発しましたが
アブラハムののテーブルアストロラーベを持参しました。
またヨセフ・ヴィシニョは
ギニア海岸を測量、漸長緯度目盛りの就いた航海図を作成しました。

アブラハム・ザクート(1452年 – 1515年)は
スペイン生まれのユダヤ人で天文学者・数学者・占星術師であり
1492年、スペインがユダヤ人追放令を出した後ポルトガルに逃れてきました。
彼の力は間違いなくポルトガルを大航海時代に押し上げたといっていいでしょう。

ところが1496年にポルトガルはユダヤ人の迫害に動きます。
スペイン妃をもらいイベリア半島(スペイン・ポルトガル)を
統一しようとしたマヌエル1世(1495年-1521年)の時代に
スペインがポルトガルもユダヤ人に異端尋問しろと圧力をかけ反ユダヤが広がった結果です。
アブラハム・ザクートはチュニジアに逃れ、
最終的にはエルサレムに帰ったと考えられています。(墓がエルサレムにある。)


アブラハム・ザクート

アブラハム・ザクートが去った後ポルトガルは大航海を迎え
1498年のヴァスコ=ダ=ガマ船団のカリカット到達、
1500年にはカブラルのブラジル発見、
1510年のゴアとスリランカの征服、
1511年にはマレーシアのマラッカ王国を滅ぼし、
1515年にはペルシア湾入り口のホルムズ島を占領、
1521年には香料諸島として知られるモルッカ諸島に城塞を建設、
そして1593年にはポルトガル商人の乗った中国のジャンク船が
日本の種子島に漂着するわけです。


16世紀のポルトガルの領地(茶色は拠点)

http://www.y-history.net/appendix/wh0603_2-075.html

ポルトガルの衰退は
1578年、ポルトガルのセバスチャン国王が
モロッコ遠征中にベルベル人との戦いで戦死したことに始まります。
次の王エンリケも老人で1年後に死去、これにによってアヴィス朝が断絶しました。
さらに1580年に、スペイン国王フェリペ2世がポルトガル王位の継承権を主張、
ポルトガルの身分制議会コルテスもそれを承認して、
スペインによるポルトガル併合が行われました。
スペイン王フェリペ2世はフェリペ1世として
スペイン・ポルトガル両国王を兼ねました。
ポルトガルのごたごたの隙をついて
オランダ、イギリスの商船がアジアに進出すると、
ポルトガル商船はその餌食とならざるを得ませんでした。

http://www.y-history.net/appendix/wh0603_2-068.html#wh0901-009

ユダヤ人はポルトガルで航海技術の発展に寄与し
ポルトガルが大航海時代を迎える1つの助けとはなりましたが
ユダヤ人がポルトガルに来て、ポルトガルが世界の覇権を手に入れ
ユダヤ人がポルトガルを去り、ポルトガルが世界の覇権を手放す
と簡単には説明できない時代の流れがあります。

#16 歴史の謎を解く鍵 ユダヤ人とバイブル 2012年 同志社大にて収録で
https://youtu.be/n2WzaNFKP80
高原剛一郎氏は旧約聖書ですべてを説明しようとしていますが
世界の覇権とユダヤ人が強く関係するようになったのは
近代中央銀行制度ができた18世紀の大英帝国以降でしょう。

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