ジェノバ・ヴェネツィア(イタリア)のユダヤ人

ユダヤ人は15世紀後半に起ったイベリア半島(スペイン・ポルトガル)の弾圧で
隣国のモロッコ、スペイン領のオランダ、イタリアのジェノバやヴェネツィア、
オスマントルコなどに移り住んだといわれます。

(出典:13世紀から16世紀のユダヤ人問題

ヴェネツィアやジェノバはローマ帝国滅亡後、
貴族が移り住んだ地中海に面する港町であり、
早くから貿易の集積地として栄えていました。

西暦480年頃に西ローマ帝国が滅びた後、
ローマ帝国の一部の貴族がヴェネチアに避難した際に
特権を享受していた一部のユダヤ人もヴェネチアへ非難し、
ヨーロッパの貴族階級に同化していきました。
現地人より色が浅黒かったので「ヴェネチアの黒い貴族」と呼ばれるようになりました。
彼らはキリスト教国家とイスラム教国家の間の地中海貿易を
独占して富を享受していきました。
(出典:ベネチアの黒い貴族とは誰なのか?


(15世紀から16世紀にかけてのヴェネツィア共和国の領域。
 濃赤は15世紀初頭までの領土、
 赤は16世紀初頭までの領土、
 ピンクは一時的に領有していた土地を示す。
 黄色い領域は制海権を持っていた海域、オレンジの線は主要な商業航路、
 紫の四角は商業拠点があった場所を示す。WIKIPEDIAより)

中世にはキリスト教社会の十字軍遠征の寄港地であり、
11世紀頃には十字軍やイスラム帝国分裂の影響で弾圧された中東のユダヤ人が、
ベネチア(ベニス)などに移住していきます。
(出典:金融の元祖ユダヤ人

さらにヴェネツィアには、
神聖ローマ帝国(ドイツ)のユダヤ人が徐々に移り住むようになりました。
彼らはヴェネツィア船が東方から運んできた品を買い取り、
中西欧に仲介していました。
11世紀末にイタリア半島のユダヤ人共同体を巡った
スペイン・ユダヤ人ベニヤニイモ・ダ・トゥーデラの旅行記には
まだヴェネツィアは注目されていないことから、
ユダヤ人のヴェネツィアへの本格的な進出はそれ以降の事と思われます。
(出典:ヴェネツィアゲットー

神聖ローマ帝国の領土

13世紀にヴェネツィア政府は、ユダヤ人に対して
ヴェネツィア潟の島の一つスピナルンガ島
(Spinalunga、後にユダヤ人居住区を意味するジュデッカ島という名になった)
に住む事を強制したとありますので
神聖ローマ帝国のユダヤ人は12・13世紀頃ベネチアに移住したと考えられます。

田中宇氏談)
移住は、たとえば以前にスペインの金融業界に属していたユダヤ人金融家が、
トルコやベネチアに信頼できる同業者がいるという状況を生んだ。
彼らはこの離散状態を生かし、遠い町との貿易決済業にたずさわるようになり、
為替技術を発達させた。
さらに彼らは、貿易商人から毎月いくらかの積立金を徴収し、
船が海賊や遭難の被害にあったときの損失を肩代わりするという保険業や、
事業のリスクを多人数で分散する株式や債券の考え方を生み出した。

一方、中世にはユダヤ人だと分かっただけで財産を没収されることがあったので、
ユダヤ人にとって自らの名前を書かねばならない記名型の証券は安全ではなかった。
そのためユダヤ人の金融業者たちは、
無記名の証券(銀行券)を発行・流通させる銀行をヨーロッパ各地で運営していた。
この技術は、やがてヨーロッパ諸国が中央銀行を作り、紙幣を発行する際に応用された。

こうしてみると、銀行、為替、保険、証券、債券といった現在の金融業態のすべてに、
ユダヤ人は古くからかかわり、金融システムの構築に貢献したことになる。
中央銀行や株式市場ができて、
ユダヤ人金融業界内部にあった金融システムを国家が肩代わりしてくれることは、
地位が不安定なユダヤ人にとっては資産の安全性を確保できる望ましいことだった。

彼らはシステムを囲い込むことをせず、
積極的なノウハウの提供を行ったが、
それは自分たちのルールを世界に通用させることにつながった。
はるか後の現在まで、ユダヤ人の銀行や証券会社が金融市場を牛耳ったり、
中央銀行の決定に影響を与えたりできるのは、
この「創業者利得」から考えて、歴史的必然であるともいえる。
シャイロックに象徴されるベニスの商人とその同僚たちがいなかったら、
現在のような金融ビジネスは生まれなかっただろう。


(1400年当時のジェノヴァ共和国の領土及び同国の経済的影響下に置かれた地域
 WIKIPEDIAより)

ジェノバ共和国
1100年頃より自治都市となり、その後はジェノヴァ共和国として発展する。
ヴェネツィア、ピサ、アマルフィなどの他の海洋都市国家と競いながら、
軍事力、経済力の影響力を増した。
特に商船、軍艦による通商・金融の分野でヨーロッパ全土に権威をふるい、
黒海貿易を独占するなどした。
コルシカ島、カッファなどのクリミア半島南岸諸都市、
コンスタンティノポリスの金角湾北部、
イスラーム統治下のイベリア半島諸都市などに植民地あるいは商館を築くなど、
地中海の覇権をヴェネツィアやオスマン帝国と争った。
16世紀には金融業で財を成した貴族
(スペイン・ポルトガルから移住したユダヤ人と関係か?)が多く現れ、

繁栄がピークに達した。
アンドレア・ドーリア海軍提督の頃はスペイン王に協力し、
多くの貴族が金融で富を築く。
その頃は la Superba、すなわち「華麗な都市」との異名があった。

世界最古の銀行は1148年に設立されたジェノバのサン・ジョルジョ銀行
モナコのグリマルディ家を含むジェノヴァの著名な家族のいくつかが、
この銀行の設立と統治に関わり
その資金と直接投資を管理した4人のコンスルによって治められました。

ユダヤ人の関与は全く不明ですが、
キリスト教世界で嫌われた金貸し業に
古くからユダヤ人が従事していた事実があります。
また中東の母国を持つユダヤ人がイスラム世界とヨーロッパの貿易に
大きく寄与したと考えるのは妥当ですので
サン・ジョルジョ銀行には陰でかかわっていたかもしれません。
ユダヤ人の銀行業はその後18世紀にユダヤ人のロスチャイルド家が
18世紀に中央銀行制度(近代銀行)を設立し
現在に至るまで世界の金融業をリードしています。

旧約聖書の創世記12章3節、
『あなた(アブラハム)を祝福する者をわたしは祝福し、
 あなたをのろう者をわたしはのろう。』
仮にあなたをユダヤ人と解釈しましょう。
ヴェネツィアは13世紀にユダヤ人を隔離し始めましたが
16世紀に黄金期を迎え、
18世紀にフランスのナポレオンに占領されるまで国が続きます。
『ユダヤを祝福する者を神は祝福し、ユダヤをのろう者を神はのろう。』
と言い切れない歴史の流れもありますね。

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